2016年 05月 06日
父の塩せんべい |
もっと早くににおことわりするはずが、遅れてすみません。小鳥社さんで作って下さっている、このブログの電子書籍版・2012年度(第8巻)がこの5月1日に刊行の予定でしたのが、うちの二人の事情で原稿準備が進みませんで、次のタイミング(2016/11月)まで延期させていただくことになりました。
小鳥社さんのお話では、楽しみにして下さっている方もおありということで、たいへん申し訳ありません。どうぞお許しくださいまして、11月発行のさいによろしくお願いいたします。
GWも過ぎて、きょうは被災地での状況が気になる雨もよう。相変わらずの昔ばなしにおつきあいくださいませ。
昭和20年代のたべものの記憶というと、まずなにより食べるものそのものが手に入らなかった時代ですから、おいしいものを食べたなんていうのは、もちろんなし。
終戦直後の、もう70年も昔のことになりますけど、混乱がおさまってすこしは物が出回りはじめた頃、父が家でおせんべいを焼いていたことがありました。
若い頃には商家の旦那さんで、けっこう暮らし向きもよかったらしいのが、私の物心ついたときは戦争のあとの逼迫した暮しばかり。それでものんびりやの私は、家にはあまり経済的な余裕がないということをまったく気がつかずにいて、それは育ててくれた父のおかげとありがたく思ってます。
父の焼いてくれたおせんべい、それは子供のおやつのために作ったものではなくて、石臼で米を粉にし、それを蒸して搗いて丸めて平たく伸ばして焼いたもの。これを父は町のお菓子やさんに納めていましたから、ちゃんとした商品だったのです。
もともとくふう好きなうえに器用で、いろんな道具を手作りしていた父で、どこからどう調達してきたのか、米の粉や石臼、それに型抜きしたおせんべい生地を乾かすホイロや電熱器の上で生地を焼くときに押さえる瓦のような道具まで自作していました。
なにしろ育ち盛りのお腹を空かせている子供がいるのですから、ちょっと割れたり焦がしたりといったハネ物を食べられるのも愉しみでしたけど、おせんべいににしょうゆをつけるのを手伝ったり、ときには焼き上がったのを町なかのお菓子屋さんまで納品に行くのも、姉妹代わりばんこの仕事でした。
そんな、電熱器の前でおせんべいを焼いていた父の姿を思い出しながら、きょう私が焼いたのはスペインピッツァのコカです。ブログのはじめの頃には、3日にあげずというくらいよく作っていたメニューですけど、しばらく焼いていなかったので、心配しいしい、それてもなんとか形になりました。
小鳥社さんのお話では、楽しみにして下さっている方もおありということで、たいへん申し訳ありません。どうぞお許しくださいまして、11月発行のさいによろしくお願いいたします。
GWも過ぎて、きょうは被災地での状況が気になる雨もよう。相変わらずの昔ばなしにおつきあいくださいませ。昭和20年代のたべものの記憶というと、まずなにより食べるものそのものが手に入らなかった時代ですから、おいしいものを食べたなんていうのは、もちろんなし。
終戦直後の、もう70年も昔のことになりますけど、混乱がおさまってすこしは物が出回りはじめた頃、父が家でおせんべいを焼いていたことがありました。
若い頃には商家の旦那さんで、けっこう暮らし向きもよかったらしいのが、私の物心ついたときは戦争のあとの逼迫した暮しばかり。それでものんびりやの私は、家にはあまり経済的な余裕がないということをまったく気がつかずにいて、それは育ててくれた父のおかげとありがたく思ってます。
父の焼いてくれたおせんべい、それは子供のおやつのために作ったものではなくて、石臼で米を粉にし、それを蒸して搗いて丸めて平たく伸ばして焼いたもの。これを父は町のお菓子やさんに納めていましたから、ちゃんとした商品だったのです。
もともとくふう好きなうえに器用で、いろんな道具を手作りしていた父で、どこからどう調達してきたのか、米の粉や石臼、それに型抜きしたおせんべい生地を乾かすホイロや電熱器の上で生地を焼くときに押さえる瓦のような道具まで自作していました。
なにしろ育ち盛りのお腹を空かせている子供がいるのですから、ちょっと割れたり焦がしたりといったハネ物を食べられるのも愉しみでしたけど、おせんべいににしょうゆをつけるのを手伝ったり、ときには焼き上がったのを町なかのお菓子屋さんまで納品に行くのも、姉妹代わりばんこの仕事でした。
そんな、電熱器の前でおせんべいを焼いていた父の姿を思い出しながら、きょう私が焼いたのはスペインピッツァのコカです。ブログのはじめの頃には、3日にあげずというくらいよく作っていたメニューですけど、しばらく焼いていなかったので、心配しいしい、それてもなんとか形になりました。
by sesenta
| 2016-05-06 15:10
|
Comments(5)
道具まで自作されていたお父様・・・ステキですね ^^
巨匠の温かいイラストから,焦げたお醤油のいい匂いがして
来るようです♪
cincoさんの手作りされるジャムやお味噌やりんごケーキも
今は巨匠が自作のラベルで魅力を何倍にもしていらっしゃる ^^
のんびり屋さんのcincoさんには,いつも傍に強い味方がいらして
羨ましいです!!
巨匠の温かいイラストから,焦げたお醤油のいい匂いがして
来るようです♪
cincoさんの手作りされるジャムやお味噌やりんごケーキも
今は巨匠が自作のラベルで魅力を何倍にもしていらっしゃる ^^
のんびり屋さんのcincoさんには,いつも傍に強い味方がいらして
羨ましいです!!
0
おはようございます!
お父様のおせんべい焼光景を想像していましたら、かすかな思い出が蘇えってきました。
小学生のころ、いつも忙しかった母はわたしを田舎に嫁いでいた長姉のところで夏休みを過ごさせるの習いでした。
そこでは鶏の卵を採ったり、お芋を掘ったりしましたが、お姑さんがおせんべいを手焼きしていた姿も思い出の中にあります。一日中焼いてカンカンと言われてた石油缶のなかにためこんでいくのです。火とか網とかは覚えていません。後には五人の子持ちになった姉ですが、子供たちのおやつに助かったことでしょう。
cincoさんのお父様は「工夫ずきで器用」でいらしたとか、
cincoさんにDNAが伝わっていらっしゃいますような…
粉もの苦手ですがコカに俄然興味がわいてきました。焼いてみたいです。
お父様のおせんべい焼光景を想像していましたら、かすかな思い出が蘇えってきました。
小学生のころ、いつも忙しかった母はわたしを田舎に嫁いでいた長姉のところで夏休みを過ごさせるの習いでした。
そこでは鶏の卵を採ったり、お芋を掘ったりしましたが、お姑さんがおせんべいを手焼きしていた姿も思い出の中にあります。一日中焼いてカンカンと言われてた石油缶のなかにためこんでいくのです。火とか網とかは覚えていません。後には五人の子持ちになった姉ですが、子供たちのおやつに助かったことでしょう。
cincoさんのお父様は「工夫ずきで器用」でいらしたとか、
cincoさんにDNAが伝わっていらっしゃいますような…
粉もの苦手ですがコカに俄然興味がわいてきました。焼いてみたいです。
「sesentaさん、cincoさん、おはようございます」
絵本を読んでいるようなcincoさんのお話。
戦後は、食べ物商売が一番だったようで、亡父も製麺業を始めました。「生きること」が大変だった時代があったこと、忘れてはいけないですね?私も、ぼんやりした娘でしたが、、、。
sesentaさんの絵で、和んでいます。コカも美味しそう!!
絵本を読んでいるようなcincoさんのお話。
戦後は、食べ物商売が一番だったようで、亡父も製麺業を始めました。「生きること」が大変だった時代があったこと、忘れてはいけないですね?私も、ぼんやりした娘でしたが、、、。
sesentaさんの絵で、和んでいます。コカも美味しそう!!












